Blog引っ越しのお知らせ

いつも拙文ながら本Blogをご愛読いただき、ありがとうございます。
このたびは、事情により、Blogを引っ越しすることになりました。
URLは以下の通りです。引っ越し先は、これまでの記事も引き継いでおりますので、
必要に応じて御覧頂けると嬉しいです。

引っ越し先のBlogのURLは以下の通りです。

http://www.wwjd-jp.org/

→引越し先のBlogが紛失しているようです。復旧中です。(泣)

今後どもどうぞよろしくお願いいたします。

besusこと伊藤 芳浩

グランズウェルが日本で普及しない理由

以下の本が発売されたことにより、日本でもようやくグランズウェルが注目され始めて来ている。

Amazon CAPTCHA

日本での代表的なグランズウェルの活用例は、RICOHの公式Blogなどがある。

お知らせ | リコー公式ブログ GR BLOG | Ricoh Japan

しかし、感覚的に言って、欧米と比較して成功例が少ないように感じている。
その理由は、以下の通りであると考えた。

  1. グランズウェルの重要さを経営者が理解できていない
  2. グランズウェルが活用できるほどUGMが成熟していない
  3. グランズウェルの活用を妨げる企業文化が蔓延っている
    1. クローズドなコミュニケーションを好む傾向がある
    2. メーカー中心の発想から抜けきっていない
    3. グランズウェルを取り込めるほどオペレーションが成熟していない

これらの課題を克服できれば、日本でもグランズウェルの活用が普及すると考える。

情報過多の現代における情報デザインの使命

棚橋さんが興味深いエントリを書いていたので、それについて思ったことを書いてみたい。

テキスト情報過多の時代に人は何を感じるか: DESIGN IT! w/LOVE

テキスト化された情報に接する比率が増え、まわりの環境も自然物よりも機械化、デジタル化されたものの比率が増えているいまの環境では、そうした自分自身の感覚の変化によって情報が変化したり、また対象物のほうも静止することなく刻々と姿形を変えることで、得られる豊潤な情報というものが身のまわりから失われているのかなと感じます。

この変化には、以下の2点が看過できない点だと考えました。

1つ目に、アナログ情報をデジタル化したときに情報落ちが発生します。デジタル化が進めば進むほど、欠落する情報が多くなる事実があると考えています。

2つ目に、情報過多の現代では、アテンションの方に重点が移っており、情報自体の価値がおざなりになっている事実があると考えています。

イメージ的には、
 刺激を求めて情報を得ようとする
→結局、何かに満たされない結果になる
→更に、刺激を求めて情報を得ようとする
・・・
といった負のスパイラルに陥っているような気がします。

そのような中で、情報デザインが負うべき使命は、それを矯正するというか、気付かせるというか、情報と人間が本来あるべき姿に戻るようなアーキテクチャを構築すべきではないだろうか。

多様化が産み出すもの

以前のBlogでも書いたが、マスコミ業界がどんどん変化して来ている。

マスコミ業界のリストラ - β. (Bee’s Blog)

 かつて、このblogにも書いたが、近いうち、マスコミ業界は、淘汰されていくと言うのは、私も賛成である。

 バックグラウンドには、ネットワークの浸透により、マスコミのメディアが整備されていることがあると思う。そこから、blogやblog新聞などをはじめ、様々な自由度の高いインフォミディアがオープンソース的に生まれているのが、強みである。デジタルデバイドなどのリテラシーの問題は残るが、都市部を中心に徐々にリプレースしていくものと思われる。

asahi.com(朝日新聞社):【ネット】ネット上の「ニュース」とは何か 「量」と「質」の間で揺れる各社 - メディアリポート - デジタル

 ネットは、気軽に誰もが安価に情報発信できるのが特徴で、さまざまな書き手がニュースメディアに参入している。そのことによって、発信される記事の質、内容も、多様になり、「ニュース」という概念も変化していることがわかる。新聞社や通信社にとっては、ポータルに記事を配信している新興サイトもライバルとなり得る。

多様化が新たなものを産み出して、古いものを飲み込んでいくといったイメージですね。

秋葉原無差別殺傷事件に思う

秋葉原で酷い事件がおきましたね。

全ての背景を知っているわけではないので、あくまでも個人的な考えですが、この事件は、分断した社会がもたらした悲劇のように思います。

分断した社会にある壁は、

制度の壁
文化の壁
言葉の壁

かな。社会が多様化して、また、格差が広がってきて、色んな層が生まれてきて、層が違うと価値観が違うため、意思疎通が出来なくなったりして、孤独になったり、フラストレーションが溜まって来たりするのだと思います。

アキバはオタク文化の象徴的なシンボルですが、これも、サブカルで、メジャーな文化から分離した、ニッチなカルチャーです。

そして、そこで行われたのは、現場を携帯のカメラで撮影し、赤外線通信で次から次へと複製する行為です。

これも分断した社会の中で、picture/movieを通して必死にコミュニケーションしようとする姿の現れなのかもしれません。

これは、モラルを逸脱していますね…。そこまですべきではないと思います。

何か、砂漠に直面したような渇きを覚えました...。

[追記]

身内が犯人と同じ会社に働いている人の情報です。

http://d.hatena.ne.jp/boiledema/20080610

これによるとかなり酷い扱いをしているようです。格差社会が産み出した悲劇と言って良いかもしれません。

ネットモンスター

ネットモンスターと言うのは、私が作った造語で、ネット(SNS、メール、チャットなど)になると人格が豹変し、誹謗や他人の人格攻撃をしたりする人の事です。

ネット上では、活発で積極的に書き込みをするが、オフ会とかで会ってみるとおとなしくて無口というのは、かわいいケースですが、マイナスの方向に働くと厄介なのです。

ネット上では、散々人の批判をしている人に直談判をしようとすると、多くの場合、ちょっとした誤解から話が拗れている事が多いのです。

また、その人が持っている負の側面が増長され、モンスター化する場合もあると思います。

SNSを使用する側・運営する側の両方でネットモンスターを数人見てきましたたが、解決するのにはかなりエネルギーが必要であり、厄介なものです。

何故、こんなことが起きるのか考えてみました。それは、実世界のリアル人格とネット上のバーチャル人格が、分離しているからだと思います。

分離していると、理性が働かず、暴走しやすいし、リアル像が見えない分、受け手が言葉に現れていない部分を想像などにより、勝手に補ったりして、誤解の元になりやすいからです。リアル人格とバーチャル人格がさほど違わなければ、大きな誤解やトラブルも起きないと思います。

リアルの場合、相手の表情などのノンバーバルな要素があるので、相手を思いやったコミュニケーションが促進されます。また、コミュニケーションに同時性があり、フェイスツーフェイスは、心理的に言葉を咀嚼することを促し、よりソフトなコミュニケーションへと導かれます。

そう言った意味では、オフ会などで、リアルでの交流をすることは、ネットでは足りない部分を補完するという点で大きな意味があると考えています。

また、各自がリアル人格とバーチャル人格が一致させるように留意すべきだと考えています。日本の場合、欧米よりも匿名が良く使われていて、リアルが隠蔽されやすいだけに、注意が必要だと思います。

皆さんには、リアル人格とバーチャル人格のズレに気を付けて、ネットライフを楽しんで欲しいものです。

仮想世界はWeb3.0か?

WebX.0(Xは、1,2,3などの数字)は、Web体系が劇的にパラダイムシフト(アーキテクチャ面や使用方法面)した場合、
バージョンアップすると仮定すると、既存のWebにはない3Dの世界を導入したSecond Lifeの様な仮想世界は、
Web3.0と言うことが出来るでしょう。

そこで、今回は、Web1.0Web2.0〜Web3.0と変遷してきたものを考えてみました。
キーワードとして【ボーダー】について取り上げてみました。

会社と会社、国と国、部と部など色々なところに境界(ボーダー)があって、それぞれを区別しています。
そして、それぞれのノード(点と点を繋ぐという意味で)を繋ぐために、色々なシステム、ルールがあって、
社会が成り立っていると考えています。その【ボーダー】は、最近崩れつつあります。

ボーダー仲介にビジネスチャンスがあり、そこに利益の源泉がありました。しかし、それが崩れつつあり、
ボーダーが無くなり、新しい体系を生み出すところに、価値体系がシフトしてきています。

Web1.0時代〜Web2.0時代
【モノ】
ボーダー有…流通コスト大(中間マージン有)
   ↓
ボーダー無…流通コスト小

Amazonドロップシッピングなどでモノの流れが変わりつつある

Web2.0時代
【情報】
ボーダー有…フィルティングコスト大、情報フローコスト小
   ↓
ボーダー無…フィルティングコスト小、情報フローコスト大

※溢れつつある情報のフローをコントロールする産業としてのGoogleが利益に源泉を握りつつある。

★Web3.0時代
【世界】
ボーダー有…活動(購買、経験など)コスト大
   ↓
ボーダー無…活動コスト小

※仮想世界と実世界の間のボーダーが無くなってくるだろう。そこでは、経験などが擬似的に出来るようになり、
結果として、実世界で活動する必然性が無くなるケースが増える。また、モノを擬似的に所有することが出来る
ようになり、実際に購入する必要性が薄くなるケースが増える。つまり、経済、時間、個人能力などの制約を
超えた活動が可能になる。

時代は、ボーダーレス社会へ向かっているものと思われる。そうなった場合、どのような変遷があるかというと、、、

インタフェースの敷居が劇的に下がる
        ↓
SLのような仮想世界が普及する
        ↓
実世界と仮想世界のボーダーが曖昧になる
        ↓
実世界の【代替可能な】物の価値が下がる
        ↓
誰でも物を手軽に手に入れることが出来るようになる
        ↓
利益の源泉は、これまで以上にサービスにシフトする

Web2.0の次は、3Dインターネットという記事がありました。

★“3Dインターネット”は、Web 2.0の次のパラダイム

これを読んでいると、今までより仮想世界がより加速するイメージがあります。
この場合、懸念事項が、3つあります。

  (a) 既存価値体系の破壊
  (b) コンプライアンスの維持
  (c) デジタルデバイドの拡大

この記事には、【旧来のWebとの連携がカギ】ということが書かれていますが、これは、
ビジネスの観点から書かれていると思います。もし、【旧来のWebとの連携】が実現したら、
(a)〜(c)についてどうなるか考えてみました。

(a) 既存価値体系の破壊
  旧来のWebとの連携により、ある程度、価値体系は保たれるのではないか。
急激な変革による影響は余りないのではないか。Web1.0Web2.0のように緩やかな変化になるのではないか。

(b) コンプライアンスの維持
  これは、メディアが変わるので問題点は変わらない様に思います。
  現状(Web2.0)であるmixiYouTubeでも色々と問題が有るようですし。

(c) デジタルデバイドの拡大
  これは、操作方法の問題なので、解決しないと思います。wiiのような斬新的なインターフェースを
持たない限り難しいでしょう。