フーチャリスト宣言

本書は、著名なコンサルタントである梅田望夫さんと脳科学者である茂木健一郎さんのコラボレーション作である。ネット社会の本質を突き、さまざまな問題提起や気付きを促す優れた本だと思いました。今回は、印象に残った部分を引用し、自分なりの解釈を書いてみました。

Googleについて】

茂木「インターネットの世界は、私の言葉で言う「偶有性」、つまり、ある事象が半ば偶然的に半ば必然的に起こるという不確実な性質に満ちています。」(P.29)
「インターネット上のテクノロジーを単にテクノロジーとして評価するのではなく、それを使う人間側のモチベーションやインセンティブを含めて議論しないと、システムの性質は論じられない。」(P.71)
梅田「要するに、いいことをいっぱい書くと、グーグルが賢くなるんですよ。」(P.86)

「偶有性」といっても何らかの繋がりがないと発生し得ないはずである。その繋がりこそWeb、特にHTML言語の特性であるリンクから来ていると考える。そのリンクが広がることで、「偶有性」が高まるようになっているため、様々な新しいことが産み出される可能性は高いと考える。ゆるい繋がりを可能にした体系だからこそ「偶有性」が可能になって来ているのではないでしょうか。この「偶有性」への入口としてGoogleがあると考える。Googleはインセンティブとして、検索ランキングをシステムに組み込んだのではないか?確信犯で、これを行ったのであれば、Googleは極めて恐ろしく先進的な会社であることが分かる。

情報リテラシーについて】

梅田「ネットで何かいやなことを書かれて傷ついたということがきっかけで、不幸で悲しい事件も実際に起こるのだけれど、それを乗り越えていかなければならない。いまはまだ犠牲者が出ている試行錯誤の時期だと思います。新しい道具で、しかも強力な道具だから。それがあることを前提にリテラシーを身につけてサバイブしていかなければならないと思います。」(P.55)
「ネット時代のリテラシーというのは感情の技術ですよね。」(P.91)
「二つの別世界が地続きになっていて、そこを行ったり来たりする仕方が個性になっているんじゃないかと思いますよ、これから。」(P.89)

鈍感力やスルー力などが話題になってきているが、ネット時代はマイナスの情報(非生産的な情報)やゼロの情報(不要な情報)などのノイズを排除し、プラスの情報(生産的な情報)を選別するリテラシーが必要になってきていると考える。
ただ、それが過度に進むと、情報に最大限の価値を置くが故に、人格や人間臭さなどのパーソナリティが分離し、軽薄に扱われやしないかと危惧している。そのような中で、梅田さんのおっしゃるように、リアル人格とネット人格は分離したものではなく、連続したもので、行ったり来たりして、リアルな世界とリンクすることで、情報に人間臭さのような要素を持たせることが出来るのではないかと考える。

【日本社会について】

茂木「日本にも反体制、ヒッピーっぽい人はいますが、その人たちは往々にして技術をもっていない。しかも、うらめしそうな視点(ルサンチマン)を世界に対して持っている。」(P.36)
梅田「僕は、「脱エスタブリッシュメント」という言葉で表現しました。」(P.103)

欧米は建設的で良い意味で批判的であるが、日本は破壊的で非生産的であることを言い得ていると思う。民族性を現しているのではないだろうか。これが、ビジネスモデルにも影響を及ぼしていると考える。
また、日本のような静的な空間なら、エスタブリッシュメントも重要かも知れないが、そうでない場合、脱エスタブリッシュメントが必要であろう。特に現代社会は、グローバル化とダイナミック化してきており、「脱エスタブリッシュメント」というのはこれから重要なキーとなるであろう。

【Blogについて】

茂木「僕は昔からものを考えるときに、「補助線を引く」ということを大事にしています。」(P.136)

補助線といういい方が非常に気に入った。Blogは、本のような緻密的なものではなく、どちらかというと発展途上にあるβ版の集まりである。そういった意味で、補助線というキーワードは非常に言い得た言葉だと思いました。

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

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