情報社会学序説(第1章)

 情報社会学序説を読了した。この本は、最近のネット界(著者はラストモダンの時代と提唱している)の現象とそれに対する洞察が書かれていて、非常に参考になった。おそらく、ここまで包括した書籍は、これが初めてであり、あちこちに散らばっていた私のネット界に対する考察が集約されたような気がしている。まだまだ、消化し切れていない部分はあるが、本ブログにエントリを書き、コメントを頂きながらインタラクティブに消化していくことが出来たらと考えている。内容が、膨大なので、章ごとに考えたことを1つのエントリに纏めて書きたいと思う。

 2003年の米大統領選挙にあたり、

「インターネットは価値ある情報資源という以上のもので、人びとが他人と直接つながれるようにして民主主義のビジョンと理想の実現を助ける」

という立場から、「ウェブ・コミュニティ・キット」というコミュニウェアを開発した第三のイニシアティブというグループは、自らの活動を草の根の二乗と評していた。それに対して、本書では、

 彼らが、あるいは彼らのうちの一部が、目標の実現を政府に委任するかわりに、あるいはそれと並行して、自分たちで目標の直接の実現もはかるとすれば、それはまさに「草の根の三乗」(自前の目標設定×自前の手段開発×自前の目標実現)と呼ぶことがふさわしいのではないか。

とあった。ウェブ・コミュニティは、政治の分野においても、多大な影響力を及ぼし、政治をも動かす力はあると考えている。自由なジャーナリズムが組織を横断した対談をもたらし、その結果、大衆の草の根運動が政府に直接影響するようになってきていると考える。しかし、目標実現の段階で、実行組織に委任して、目標を実現してもらうという意味では、「草の根の三乗」と言えるのではないか。1つのコミュニティ(ゆるい結合でリンクされた集まり)が、インフルエンサーとして、他の組織(こちらは、既存のヒエラルキー階層で成り立つ固い結合でリンクされた集まり)を動かす原動力となりうる可能性を秘めているという意味で、「サイバーアクティビズム」と言えるのではないか。

 ただし、ネットは、バーチャルな世界であり、リアリティな世界である行政に対して、どこまで影響を及ぼすことが可能なのかは、未知数であり、バーチャルとリアリティの間の橋渡しをどのように行うのかが、今後の課題となるであろう。

 それ(アクティビズム)はしばしば、既存の間接民主制のシステムをバイパスして行われるが、だからといってそれを直接民主制的な、あるいは直接民主制の樹立をめざす動きないし流れだと解釈するのも適切とはいえないように思われる。しかし、そうした流れは、良くも悪くも、今後世界的にますます勢いを増していくような予感がする。

 サーバーアクティビズムがリアリティに近づくことは、あってもリアリティになる事はないのではないか。どんなにウェブ化が進んでも、最終的には人間が手を下すという仕組みはこの先も変わることはないでしょう。なぜならば、ウェブ・コミュニティには、致命的な欠点があるからだ。それは、コンテクストをやりとりできる仕組みがないことだ。政治を行うにあたり、その地域の文化・背景・伝統などを十分に勘案の上、手を下す必要があり、その部分はバーチャル化することは到底不可能であると考えている。