情報社会学序説(第4章)

 第4章では、近代社会の三つの原理と領域:公・私・共について、言及している。

特に、印象に残ったのが次の箇所である。

私は、コミュニティを取り巻く生存環境の状態を、生存しやすいものから順に、

1)見えざる手状況:私的、個別的な競争が全体にとっての善を生み出す状況

2)囚人のジレンマ状況:お互いの協力に成功すれば、個別に競争するよりは良い結果をもたらしうる状況

3)救命艇状況:全員を救うことはできないが、一部の「強者」だけなら自立(孤立)して生き残れる可能性のある状況

4)共倒れ状況:孤立しても協力しても生き残れず、一部だけでも生き残るためには全体の規模を強制的に縮小せざるをえない状況

 の四つに区分した。そして、1)では「競争」の、2)では「協力」の、3)では「自立」の倫理がそれぞれ有力性を発揮しうるが、4)となると全体を集権化した上で一部を切り捨てるという「犠牲」の倫理、おそらくはもっとも極端な公の倫理、に頼るしかあるまいと考えた。

 エコ体系がどのような様態を持つかによって、どのようなバリューチェーンが形成されるかということを示唆していると感じた。それから、現代の世界について、以下のように言及していた。

世界は、少なくともある一面からみれば、強力な救命艇に乗り込んでいる近代文明世界と、波間に投げ出されて近くの救命艇に共倒れ覚悟の自爆型テロ攻撃をかけるしか望みがなくなったそれ以外の世界とに、二分されつつあるかにみえる。しかし、また別の面からみれば、近代文明の情報化は、「共の原理」に立脚した新たな共働の可能性を開きつつあるようにもみえる。

 情報化ーつまり、智民化といった方が良いかも知れないーは、緩い繋がりを元にして、従来にはない新しい技術や智恵を生み出すためのプラットフォームになっているように感じている。そう言った意味で、情報社会学は、今後の社会がどこへ向かっていくか、その本質は何かを掴んでいくことが期待されると思う。