非言語におけるデバイド

バイドには、言語上におけるデバイドと非言語におけるデバイドの2通りが存在する。

今回は、非言語におけるデバイドについて考えてみたい。

デジタル分野(主にインターネット)の分野に限ったことでないが、コンテキスト(context)の程度の違いというのが問題になってきている。コンテキストには、程度によってハイコンテクストとローコンテクストに区分されている。

まず、コンテクストとは、Wikipediaによると以下のように定義されている。
★コンテクスト(Wikipedia)

コミュニケーションの場で使用される言葉や表現を定義付ける背景や状況そのものを指す。例えば日本語で会話をする2者が「ママ」について話をしている時に、その2者の立場、関係性、前後の会話によって「ママ」の意味は異なる。2人が兄弟なのであれば自分達の母親についての話であろうし、クラブホステス同士の会話であればお店の女主人のことを指すであろう。このように相対的に定義が異なる言葉の場合は、コミュニケーションをとる2者の間でその関係性、背景や状況に対する認識が共有・同意されていなければ会話が成立しない。このような、コミュニケーションを成立させる共有情報をコンテクストという。

コミュニケーションを成立させる共有情報としてのコンテクストに依存しているか否かでハイコンテクストかローコンテクストかになってくる。

★コミュニケーションについて考える

<参考:コミュニケーション文化>

*ハイコンテクストカルチャー(言語の依存度が低い文化:日本、タイ、ベトナム
人々が濃密な絆で結ばれているために、情報が広く行き渡り、共有化されている。言外の表現にコミュニケーション内容を忍び込ませる。
・ツーといえばカー
・一を聞いて十を知る
・以心伝心
・言わなくたって分かってる
・阿吽(あうん)の呼吸
・察する、気をきかせる
理解しない聞き手が悪い

*ローコンテクストカルチャー(言語の依存度が高い文化:アメリカ、イギリス)
個人主義が発達していて、同質性が低く、メンバー間で共有される背景知識が限定されているので、言葉に依存する割合が大きい。
・伝える手段は言葉だけ
・言葉足らずがない、名言する
・安全確実な伝え方
・シンプルで使いやすい
理解させ得ない話し手が悪い

コンテクストとは、言語に依存しないノンバーバル(非言語)的な要素を多く含み、インターネット(というよりは、2chの方かも知れない)で言うところの【行間を嫁(読め)】という話になるのではないかと思う。

【行間を嫁】とは、「行と行の間に隠れているコンテクストを読み取れ」というコンテクストを理解していない発言者(ネットビギナーが多いのではないかと思う)に対する警告として良く用いられるセンテンスである。

この言葉が発された瞬間、コンテクストを理解出来る人のみしか参加出来ない排他的なコミュニティになりうる危険性がある。ここに、デバイドが生じる原因が有るのではないかと思う。

排他的なコミュニティは、コンテクストを理解出来る人が主に集い、密度の高いコミュニケーションが出来るかも知れないが、有る意味、クローズドなコミュニティであり、初心者、障がい者などコミュニケーション弱者にとっては、敷居が高いものがある。

上で、引用したコミュニケーションについて考えるでは、更に以下のように書かれている。

日本のネット社会は、両方のカルチャーが交わっているように感じます。ネット社会は、相手の表情やしぐさが見えない、伝える手段が言葉だけの世界ですが、私達の心は、日常の延長として、ハイコンテキストカルチャー的な状態(理解しない聞き手が悪い)にあるのではないでしょうか。そのギャップが、ネット社会で発生する摩擦の大きな原因だと思います。

また、ネット社会の外であっても、特に政治関係の話をする場合は、ローコンテキストカルチャーの人達と話をするという意識を持つ方が、コミュニケーションの精度が上がるのではないかと思います。

至極その通りの指摘だと思う。クローズドな世界に居ると陳腐化してしまい、思考が硬直化する危険がある。インターネットは、緩い繋がりを可能にしている反面、物理的には繋がっている(リンクが張られている)反面、精神的に排他的なダークサイドが沢山存在している。

こう言ったサイトを否定するつもりはないが、コミュニケーション弱者に対して寛容な態度を取ることが出来るよう、行政や教育機関などが意識改革をしていく必要があるのではないかと思う。

以下、ご参考。
★空気の読める社会(1)(socioarc)
★空気の読める社会(2)(socioarc)