デジタルデバイドの原因

Digital Divideの原因は大きく言って次の2通りあると考えられる。

(1) Accessibilityの問題(情報へのアクセス上の制約問題)

  • 社会上の制約…居住国の行政事情・経済事情(インフラの問題)
  • 個人上の制約…心身のHandicapなど個人の使用上の制約

(2) Media Literacyの問題(情報を伝播するメディアを使いこなす能力問題)

  • 情報環境…情報が支障なく伝達出来ていない
  • 学習環境…Media Literacyを学ぶ環境が十分に備わっていない

(1)については、行政側の支援や先進国からの支援(ODA)などにより、インフラを整備したり、ソフトやサービスのアクセシビリティ機能を付与するなどによって有る程度、Gapを埋めることは可能になってきている。

しかし、(2)については、Handicapを持つ方に対する情報保障体制、教育体制は依然として不十分な面があり、ここにIT革命の恩恵を受けていない層が依然と残っている原因となっている。

私の尊敬する福島智先生がかなりシンクロする内容を提言していたので以下に引用する。

★「インフォメーション・ディバイド」と知的障害者のエンパワメント
福島 智(東京大学先端科学技術研究センターバリアフリー分野助教授)

障害者の解放をめざす上で重要な側面として、第一に、障害者自身のエンパワーメント、第二に、障害者一人一人の身近な関係者によるサポート、第三に、法的枠組みを含む社会の制度的インフラの整備という三つの側面をあげました。
これら三つの側面それぞれに対して、ITは重要な貢献を果たしうると思います。そこでまず大切なのは、デジタル・ディバイドなくす努力です。しかし、それだけでは不十分です。インフォメーション・ディバイドを生じさせないための支援、しかも、テクノロジーと人の両面からの広義のコミュニケーション支援がますます求められて来るのではないでしょうか。

テクノロジーや経済上の支援だけでは、不十分でソフト(人的)な支援が必要であるのは同意致します。
なぜなら、前者は、Accessibilityの問題が主に対象であるのに対し、後者はMedia Literacyの問題も対象にすると思われるからです。

しかし、ここで私が最後に強調したいことは、ある人が入手し、利用する情報の高度さや複雑さ、あるいは分量の多さといったものと、その人の幸福の実現度とは相互に独立した要因だ、ということです。
「情報」の活用はあくまでも幸福追求の手段の一つであり、目的ではない、ということです。それはちょうど、聖書において用いられている膨大なことばがすべて手段であって、目的は、おそらくたった一つ、「愛」ということばに集約される価値を人間の生活において実現させることと似ているでしょう。

聖書が説いている【愛】とは、アガペーのことで、自己犠牲愛です。クリスチャンは、他者に対して気配り、そして、共感出来る生き方を求められています。このような生き方をこの世の中の多くの人が出来るようになれば、色々な面でお互いの足りなさを相互補完出来る素晴らしい社会が実現することでしょう。

私たち障害者を含むすべてのひとびとが願っていることは、たんなる利用可能な情報量の増大でもなければ、たんなる情報処理の速度・効率の向上ではないでしょう。私たちは他者と共に心ゆたかな生活をおくることを願っているはずです。そして、そのためのもっとも重要な鍵は、私たち一人ひとりが無意識のうちに生み出してしまっている心理的なバリア、すなわち、「人間の相互理解におけるインフォメーション・ディバイド」をなくしていくことではないでしょうか。人と人との直接のふれあい、密度の濃いコミュニケーションこそが、この人間同士のインフォメーション・ディバイドを解消していく道なのだと私は確信しています。

Diversity(多様性)を認め合い、互いが尊重し合うことで、心理的なバリアがなくなっていくはずだと思います。そこにはオープンでフラットな関係が出来ているはずです。どのようにしたら、このような問題が解決していくのか、考え続けていきたいと思います。

最後に福島智先生は、盲ろう者であり、彼の生活感や価値観を綴った本がいくつかあるので紹介したいと思います。

★指先で紡ぐ愛―グチもケンカもトキメキも
指先で紡ぐ愛
★盲ろう者とノーマライゼーション―癒しと共生の社会をもとめて
盲ろう者とノーマライゼーション (明石ライブラリー)
★渡辺荘の宇宙人ー指点字で交信する日々
ISBN:4915513394:ima

Second Life日本語版がまもなく公開

Second Life日本語版がまもなく公開されるので楽しみにしている。

★Second Life日本語版まもなく公開

詳しい内容は以下を参考。

★[年末特集:2006]始めてみよう!仮想世界「Second Life」--それって何?編
★[年末特集:2006]始めてみよう!仮想世界「Second Life」--基本操作編

SecondLifeは、単なるVirtual空間にとどまらず、Social的な面も持っているようで、従来のSocialSoftwareにはない3D空間など多彩なメディアが魅力的であり、2007年はヒットする予感がする。

デジタル vs アナログ

これは、TVの話ではなく、情報源の話です。コンテキスト的には【花より団子】と似ていて、快楽の方に流されるみたいな感じです。

実は、最近、通勤中にはネット(=デジタル)ばかりやっていることに、ハッとしたのです。そう言えば、新聞や本(=アナログ)を読まなくなり、人とリアルで対談して情報交換をしなくなっている。

デジタルの場合は、手軽に情報が得られる長所がある一方で、エンターテイメント性やファインダビリティの高い情報に偏ってしまう可能性が高いという短所がある。デジタルが余り扱わないものは、情緒的なものではないかと考える。

情緒的とは、つまり、人間臭さだ。この問題は、漫画ばかり読むと教育上好ましくないのと似ている。言うまでもないが、デジタルは情報の伝搬性が優先されてフォーマットが決まっていることが多い。このため、そのフォーマットに載り切らない情報もあるはずである。

聴覚的情報の例として、音楽を挙げれば、デジタルは棒グラフみたいに、直線で図示されるが、アナログは、滑らかな曲線なのである。技術がどんなに進歩しても、(直線の長さを短くしても)、アナログとは、同等にならない。文字・画像などの視覚的情報も同様であり、載り切らないものが有るのではないか。

ただし、アナログにも短所はある。

新聞やTVなどマスコミの場合は、情報操作など、パワー関係が現れ易いため、ジャーナリズムとしての、中立性が保たれていない可能性がある。また、バイラル(クチコミ)などソーシャルネットワーク(人脈)の経路から入ってくる情報の場合、情報が属人的になり、その人の思想・宗教観などに左右される可能性がある。

この差異に留意しながら、情報が氾濫している社会を過ごしたいと、ふと思いました。

なお、情報が氾濫しているのは、発信手が情報をrenewalしているのではなく、add-valueしているだけの場合が多く、内容的に同じモノがインターネットの世界の場合、手軽に情報をcopy出来る(情報生成コストが低くなる)ため、かえって、情報としての平均的価値を下げているデジタルの情報源の方の話であって、アナログの情報源の方は、これまでと同様に情報量がコントロールされているため問題ないと考えています。

皆さんはどのようにお考えでしょうか?

Googleの戦略

野村直之さんが最近のGoogleについて辛辣な批評を書いていた。

★実は“保守的”なGoogle Docs & Spreadsheets(Web2.0 for ENTERPRISE by 野村直之)

 Google Docs & Spreadsheetsの個々の機能についてはどうでしょうか。メニューのNew Documentを選択することで起動するWritely譲りのワープロ機能はともかく,表計算の方は,今年6月にリリースされた時点で,なぜGoogle Spreadsheetsの機能はライバルに劣るのかと評されたほどに,ベーシックな機能にとどまっています。グラフの生成や貼り付けなど,「Web1.0」時代にはとても予想できなかった高度な表現力を備えるiRowsや,Wiki表計算のようにわかりやすく構造化して協働作成環境を新たに創造しようとしている wikiCalcに比べると,どうしても見劣りします。Google Spreadsheetsには,私たちが見習うべき新たなアイデアも技術も見あたらないのです。

 これは、Webアプリの技術的限界ではないと否定しつつ、以下のように予想している。

 Google Docs & Spreadsheetsの意義は,データの置き場を「こちら側」から「あちら側」へ移させるビジネス戦略の一端に過ぎないのでしょうか。

 個人のWantやNeedを実現するプラットフォームをこちら(クライアント)からあちら(インターネットサーバ)へ移すためには、動機として十分な魅力がなければならないと考える。

 個人的には、以下の2つの戦略を打ち立てているものと予想している。

(1) 百貨店型のホールサービス(ホールプロダクトのもじり)の提供による囲い込み
→全ての品揃えを行うというのは重要なファクターであり、なるべく早い時期にサポートし、リードカンパニーとしての印象を植えつける戦略
(2) Webアプリの特性を生かした新規サービスの提供による新たな需要の誘発
→こちら側では見られない機能を、Webアプリという新しいプラットフォームでデータ相互間の連携機能などにより、実現出来る強みを生かすといった戦略

 ユーザがプラットフォームをあちら側に移すことは、必然的にデータがあちら側に移ることであり、中軸である検索サービスにとってもシナジー効果が上がるものと思われる。

 データの置き場は,個人や組織の活動,特に個人間,組織間の連係プレーを首尾よく進める上で,大変重要なポイントです。

 これからのGoogleがどのようにネット上の作業環境をどのように変えていくのか、目が離せませんね!

イノベーション勉強会「mixiの今後の課題と可能性」

イノベーション勉強会「mixiの今後の課題と可能性」に参加してきました。

 以下の2テーマを6人程度のグループに分かれて、ディスカッションしました。(矢印は、私の意見)

mixiには、今後どのような収益機会があると思いますか?

  • (1) 広告事業

   バナー・アフリエィト・アバターの使用
   属性マーケッティング・リクルートに結びつける

   →既存産業の取り込み(水平展開)をどのようにやるのかポイント。
    この分野は、コモディティ化が激しいので、収益性が有るかどうかは、疑問が残る。
    多大な技術投資が必要であり、回収できるのかどうか?

  • (2) 決済事業

   オークション・物販・マッティング・会員制SNS(結婚など)・ポイントショッピング・
   物販・イベントでの参加費用などの回収代行

   →バーチャル的なSNSでのネットワーク・知名度を活かし、リアル世界での流通スタイルを
    結びつけることで、投資効果を上げる狙いがある。こちらが、現実的だと思う。

  • (3) 法人事業

   リサーチ・マーケッティング・システム販売・コミュニティ運営・
   企業内コミュニケーション支援・セキュリティサービス・P2P(音楽)・レストラン・バー・
   Mixiオレンジパワーズ(野球球団)

   →Mixiで培ったノウハウを転用するというのは、独自の事業を立ち上げることが差別化に、
    つながるため、良い形だと思う。また、Mixiの知名度やブランドを活かして、他事業に
    進出するのも、収益モデルをきちんと確立してやるのであれば、良い形になると思う。

  • (4) メディア事業

   これまでは、出版社・TVが勝手にMixiを取り上げていたが、これからは、自力でメディアを
   作成して、宣伝していく。(間接宣伝→直接宣伝)
   Mixi内のコンテンツの自費出版や、TV・映画化などを扱う。

   →高度な知識が必要になるため、関連企業との連携が必要になってくるのではないか。

■あなたがmixiの社長だったら、何を目標とし、どのような事業展開を行いますか?

  • (1) 疑似Mixi国家プラットフォーム事業

  APIを公開して何でもできるようにする。利用者を増やす。技術者を集めて機能を追加していく。

  • (2) マスコミと金融

  出版やTVで認知度向上。ペイパル+edy(Mixカード)の導入を行う。

  マッチングサイトの立ち上げにより、手数料で稼ぐ。ターゲットをB2C→C2Cのようにする。

  人と情報のマッチング(広告の質を上げる)。利用者が増えると質が低下する。

  →利用者数やPVなどの定量的データをブランディング(定性的な物)とどう結びつけるかが重要では?

  モバイル版の強化を行う。

この他にリスクについて話し合った。

リスクは、内部にある。(トヨタと同様)

  • 殺人・訴訟・スキャンダル・コミュニティの質の低下をどう防ぐのか。政治の干渉(制限)

 →有る程度、監視を自動化させていく仕組みが必要。特定のキーワードが書き込まれたら、ピックアップして監視していく。

  • 飽きる

 →コンテンツをいかに充実させていくか、誘導する仕組みが必要。

 →適切なコミュニケーション濃度、Public(Open)/Private(Close)の上手な切り替えを誘導していくシステムの構築が必要

  • 閉じっぷりがいい

 →クローズドコミュニティ…コミュニケーションの濃度が高くなるが、内容が良いかどうかは別の問題。

  • ジェネレーションごとのキャッチコピーが見つかれば、乗り越えるキーになる。

 →ユーザを有る程度、システム側からカテゴリ分けして行くような運営の工夫が必要になってくるのでは?

  • システムの負荷

 →これは、宿命だと思う。有る程度、ユーザ数の制限を設けるか、SNSを分割せざるを得ないのではないだろうか。

 →この他に考えられるのは、SNSオープンソース化。
  既に、OpenPNEという優れたオープンソースSNSエンジンを使用したSNSサイトが沢山オープンしてきている。
  自分でカスタマイズ出来るのが強み。それに対して、Mixiは対策を打ち立てる必要がある。

 様々な意見を聞くことが出来て、大変参考になりました。徳力さん、ありがとうございました。

将来のOS(OS2.0)

 GoogleGoogle SpreadsheetsGoogle CalenderなどのWebサービスを提供している最近の動向に関連して以下の興味深いエントリがあった。

ウィンドウズがデバイスドライバになるとき

ウィンドウズに対する脅威はOSではなく、別の階層から来るだろう。それはおそらくブラウザで、それさえ動けばOSは何でもよいし、なくてもかまわない。事実、ネットスケープはコードをJavaで書き直してOSに依存しないブラウザを開発しようとしたが、失敗に終わった。

今、グーグルが実現しつつあるのは、このOSのデバイスドライバ化だ。ウェブに加えて、メール、カレンダー、スプレッドシート、文書作成(Writely)が使えれば、ウィンドウズ上のアプリケーションはほとんど必要なくなるかもしれない。

「OSとしてのブラウザ」時代、いよいよ到来か?

サービスベースのエンタープライズアプリケーションの成熟が進んだことで、ユーザーは、Web経由で実行され、Webブラウザに提供されるアプリケーションを従来よりはるかに快適に利用できるようになった。また、最近のAjaxの進化に伴い、現在のブラウザベースのアプリケーションは、GUIの洗練度と対話性が高いレベルに達しており、OS上で直接実行されるアプリケーションとほとんど見分けがつかない。

 こうした一連の展開はわたしにとっても、OSとしてのブラウザの可能性を信じる十分な材料だ。

 そこで、将来のOSのあり方について自分なりに想像を膨らませて見た。

 従来は、OpenOfficeなど、クライアント側で、作業していたものをあちら側でするようになる。つまり、Webサービスとの連携強化、親和性の強化がなされる。
マシンに不要なソフト・データ、高価なソフトを積む必要がなく、廉価でセキュリティを高めることが出来るようになる。
具体的には、メニューから文書の作成を選択すると、文書作成のWebサービスを自動的に呼び出すようにするなど。

  • (2) OSのブラウザオールイン化

 従来は、WindowsLinuxのウィンドウが主なワークプレースであったが、これからは、ブラウザがワークプレースとなる。ブラウザから、OSの各種処理を全て行うことが出来る様になる。また、各種アプリケーションの実行も、ブラウザから行うことが出来るようになる。

 提供するサービス元が、クライアント側にあるのか、サーバ側にあるのかは、ユーザは普段はあまり意識しないようになる。要するに、クライアントとサーバのボーダーが曖昧になっていく。
 パワーユーザの場合は、各種操作のAPIは、ローカルかグローバルかを設定により切り替えるようにする。(ローカル:自マシン、グローバル:ネットワークに繋がっているサーバ)また、用途・目的に応じてカスタマイズが出来るようにする。また、プロファイル化して、使用場面に応じて、選択できるようにする。

 皆さんは、どのように考えるでしょうか?

インターネット界のジレンマ

 インターネット界がジレンマ状態に陥っている。Googleなどのサービスプロバイダは、インフラを最大限に利用して、サービスを拡大したいのだが、ネットワーク事業者にとっては、設備投資がかさみ、収益率が低下し、事業が成り立つかどうか危うい状態になってきているように感じている。(具体的なデータがないのであくまでも推測ですが)Googleとしては、新しいサービスを提供することで、価値を高めていく必要があるのだが、ネットワーク規制をかけられると、新しいサービスを提供出来ないところが、既存のサービスも提供出来なくなる危機感があるのではないか。このままいくと、やばいのではないかと思う。

CNETでも、その危惧感を訴えたエントリがあった。

ネットの増殖力を奪うネット中立性 - CNET Japan

禁止が義務づけられると2つの重大な問題が生じる。第一に、こうした本質的にあいまいな言葉の意味をめぐって訴訟がて長期化し費用もかさむことになる。法令違反であるとされる無数の事例に対して、サービスプロバイダー側も何とか規制にパスしようとサービスを修正するため、裁決、再裁決が繰り返されるからである。第二に、こちらのほうが根本的な問題だが、ネットワーク設備の所有者はすべてのアプリケーションやコンテンツのプロバイダーを均等に、つまり中立的に扱わなければならないという概念は、われわれが望む競争市場のあり方と基本的に矛盾する。新しい製品やサービスに対する消費者の評価は、市場における差別化の試行錯誤のプロセスを通して形成されてゆくものである。差別化する自由を奪ってしまうと、有効な競争の基盤が損なわれてしまう。

 そして、もう1つ。

 ネット中立性を強制的に実施すると、実は、継続的な訴訟によって先行きの不透明感が増大し費用がかさむと同時に、ネットワーク事業者が自社サービスの差別化によって需要を喚起するようなビジネスを展開できなくなるため、インターネットの技術革新が抑圧され、投資も減少することになる。つまり、ネット中立性は実現しても、同時にネットは去勢されたも同然となり自己増殖力を失うのである。


ジレンマに陥っている間に、破壊的イノベーションが誕生していれば良いのだが、そうでもなければ、ネットは去勢されたも同然となり自己増殖力を失ってしまう可能性がある。

 政府は、この点について、もっと真剣に解決方法を話し合う必要があるのではないか?